2024年10月06日(日) 「信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちて行く金よりも 尊いのであって、イエス・キリストの現われの時に称賛と光栄と栄 誉に至るものであることがわかります」Tペテロ1:7
「信仰の試練は、火を通して精錬されてもなお朽ちて行く金よりも 尊いのであって、イエス・キリストの現われの時に称賛と光栄と栄 誉に至るものであることがわかります」Tペテロ1:7
イスラエルの民に、バビロン捕囚という最悪の事態が臨んだ。 大 きな厳しい試練だ。祖国を離れ、敵国に捕らわれの身となり、連行 される。国は滅ぼされ、何と辛く、悲しく、屈辱的で苦しい出来事だ ろう。金は、高温の火を通して、精錬する。そこで不純物を取り除く。 高温の熱で溶かし、浮き出た不純物を除去し、それを続けて精錬 する。 高温であればあるほど、よく不純物が浮き上がる。そのように主は、 私たちを信仰の試練で、精練すると言われている。試練が厳しい ほど、私たちの内の、様々な肉や、罪、不純なものが浮き上がる。 それを主が精練し、聖めて行って下さる。試練が臨む時に初めて、 普段、順境の生活、平穏で問題の無い時には、知る事のない自分 自身の内側を見せられる。 嫌な相手が出て来た時に初めて、自分はそこそこ愛深い人間と思 っていたのが、砕かれ、こんなにも人を恨み、憎み、人を赦せない 人間である事を思い知らされる。何倍にもして報復したいし、決し て赦したくない。罪を憎むなど、飛んでしまう。自分は良い人間と思 っていたのが、こっぱみじんに吹っ飛んでしまう。 信仰の試練を通して、砕かれ、練られ、造り変えられ、聖められて 行く。そして、それは主の栄光のために行なうと。自己中心な者を、 主の栄光を現わす器へと造り変えて下さる。試練の炉を通って初 めて、砕かれ、心素直にされ、御言葉に耳を傾けるようにされる。 主への感謝と賛美が溢れて行く。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 聖書の沢山の箇所に、試練があると言われている。精錬されるた めと。試練の時に本当の自分の姿があらわになり、こんなはずで はない思いがわき上がる。自我は痛いが、認めて〃行く時に、成 長させて下さり、そしてかの日には報いて下さる。