2025年07月15日(火)

「・・あなたは、食べてはならない、と命じておいた木から 食べたのか」創世記3:11



肉の性質が、言いたくない言葉が「ごめんなさい」だそうだ。プラ
イドに触れて来る。「ごめんなさい」の代わりに、善行で帳消しに
したい。プラスマイナスゼロだ。そして自分を正当化する。自らの
非を認め、謝罪するのでなく、言い訳、弁解に終始する。言い訳な
ら、幾らでも出て来る。エデンの園で罪を犯したアダムに、主の方
から「あなたはどこにいるのか」と語りかけられた。

悔い改めの機会を与えるために、「食べてはならない、と命じてお
いた木から食べたのか」と言われた。「あなたは、食べたのか」の
問いなので、逃れようが無い。「私は食べた」「私は食べていない」
の、イエスかノーのどちらかだ。だがアダムは、「この女がくれた
ので、私は食べたのです」と、くれたエバが悪いと言った。

大きな喜びであったエバを「この女」と冷淡に。エバがくれなかっ
たら、自分は食べない。だから自分は悪くない。エバも、主から
「何ということをしたのか」と言われて、「ごめんなさい。食べま
した」と言えた。ところが、「蛇が私を惑わしたから、食べた」と
答えた。惑わした蛇が悪い。蛇が惑わさなければ、私は食べなかっ
たと。人間の罪の性質だ。

罪が入った結果、神中心だったのが、自分中心の生き方になった。
そのため言い訳し、責任転嫁するように。ある人は「あ!いつも言
い訳をしています。今、気づいた!」と。「ごめんなさい」を主は
喜ばれる。主の血潮で赦して下さり、「二度と罪を思い出さない」
と。回復が始まる。何という驚くべき恵みだろう。主のあわれみは
尽きない。
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ごめんなさいを言うより、犯した過ちに加え、もっと苦い言い訳が
簡単に口から出る。本当に謝れない者だ。主には素直でありたい。
そこから新たにされる。