2026年06月23日(火)

「あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で 偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい」 マタイ20:26


ゼベタイの子たち、ヤコブとヨハネの母が彼らと共に、主にひれ伏
して願った。主が王になった際には、自分の子たちを右大臣左大臣
にして欲しいと。そしてこの事を聞いた他の十人は、この二人の兄
弟の事で腹を立てた。結局、思いは同じであり、先を越された事に
腹を立てたのだ。

弟子たちの間では、比較競争が常にあり、誰が一番かという事が関
心の的だった。そして皆が、自分が一番だと思っていた。この自己
中心こそが、主を見えなくさせ、御心からそれてしまう。自分の価
値観、自己中心のフィルターでしか、物事が見えないため、主の心
がわからない。主がこれから十字架にかかると告げられた、まさに
その時の出来事だった。

何と的はずれな事だろう。自分の事しか無い。しかし、私たちも同
様だろうか。祈りが答えられない時、自分の願ったものでない時、
反抗心と不満が募るだろうか。結局、神すら利用し、都合の良い願
いを叶えてもらい、自分の思い通りに生きたい自分。人に勝ちたい、
人より上でありたい、支配したいという欲望とプライド。

これが主の心を見えなくする。主の答えはどうだったろう。「仕え
る者になりなさい」だ。自己に死なない限り、人に仕える事が出来
ない。肉は、人に仕えたくない、人から仕えられたい、自分の思い
通りに歩みたい。そんな自分の姿を認め、主に明け渡して行く時、
主が仕える者に造り変えて行って下さる。
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仕えるのは難しく、そして仕えられる事にはいつも鈍感な者だ。主
の仕える者になりなさいの御言葉に、本当にそうなりたいのかと、
本心を吟味してみたい。主に従順になりたい。