2024年12月18日(水) 「すると、イエスは言われた。『それを、ここに持っ て来なさい。』」マタイ14:18
「すると、イエスは言われた。『それを、ここに持っ て来なさい。』」マタイ14:18
私たちは、諦め思考、マイナス思考が無いだろうか。物事のネガテ ィブな面ばかりを見てしまう。「こんなに大勢の、圧倒的な未信者 の中で、私が少しぐらい証ししても、何になろう。無力だ。」「こ んな微々たる献金しても、焼け石に水だ。何の足しにもならない」 「こんなに大きな問題に、私が、祈ったところで何になろう。 こんな微力の祈りが何の役に立とう」「私に何ができよう」・・ふっ と心に湧いて、影響を受けてしまうだろうか。 サタンのささやきだ。「無駄だ」「そんな小さなものが何になる」 と失望感、無力感を持って攻撃が来る。少年の5つのパンと2匹の 魚は、幼稚園児のお弁当ぐらいの微々たるものだが、これが何にな る、何にもなりはしないと、はなから否定して、主のもとへ携えな ければ、彼は、主に用いられるという、人生における大きな喜びを 経験できなかった。 又、皆も、この素晴らしい奇跡を見る事は出来なかった。主は、全 能の力を持っておられる。主にできない事は一つもない。「パンが 5つと・・ほかありません」「それをここに持って来なさい」。その 微々たるものを、自分が何が出来ようと思う、あなた自身を、主の もとへ持って来よと。 主は大いに祝福される。献げられたものを用いて奇跡をされる。ど んなに僅かであろうと、小さかろうと、問題無い。主は祝福され、 周りの人々は十分満ち足りて、満腹する。周囲の祝福の器とされる。 微々たるものを用いられる。臆せず主のもとに携えよう。自分でな く、主がどんなお方であるかの問題だ。 -------------- 僅かなものなら、何もしない方がましだと大人の知恵で考えてしま うが、子供の頃なら純粋に、主の御言葉に応答したのではないか。 主に頼り、僅かなものを主にお任せしよう。