2025年05月05日(月)

「供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って、 まずああたの兄弟と仲直りしなさい」マタイ5:24



ある人が友人と喋っている時に、ひどい言葉が出てしまい、友人を
傷つけてしまった。悪気が無かったというものではなく、醜い自我
から出た事であり、はっきり自分の罪だった。御霊に罪を示され、
御前に悔い改めた。御霊は、友人にも謝罪するよう言われた。しか
し自分の自己中による恥ずかしい失敗であり、愚かさであり、プラ
イドがひどく傷つく事で、したくない、回避したい事であった。

しかし、これ又、更に醜い自我であり、肉そのものだった。このま
までは苦しく、平安も喜びも無い。ついに示しに従い、傷つけた相
手、嫌な思いをさせた周囲の人々にも謝る決心をした。赦してもら
えなくても当然だった。だが、勇気を出して詫びた時に、相手は快
く赦してくれた。赦される事の嬉しさ、飛び上がるばかりの喜びを
経験した。

平安が溢れ、心が満ちた。自己中により、人を傷つけ、辛い経験だ
ったが、それをも益とし、大きな喜びを下さった。「兄弟に恨まれ
ている」事を語っている。何か争い、行き違いがあり、相手に恨ま
れているなら、まず「自分の方から」謝罪するようにと。相手の立
場に立ち、考える態度だ。

争いになると自分を正当化したい。相手から謝るならまだしも、こ
ちらからなど有り得ないと思う。しかし相手がわだかまっているよ
うなら、こちらから行って解決せよと。それは、大切な礼拝を後回
しにしてでも、まず和解を優先と。今、和解すべき相手が浮かぶな
ら、祈って行こう。主が力強く導いて下さる。
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強固な自我がしっかりと自分を守っている。そこを主は礼拝を後に
しても和解せよと言われる。自分の思いではなく、主に従えるよう
祈ろう。主が導いてくださる。