2026年03月08日(日)

「それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、 あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた」申 命記8:3


問題が起きる時「何で?私に?」「神は愛ではないのか」と
疑いが湧くだろうか。普段は出る事の無い、心の内にある
ものを教えるためだと言われる。あえて、苦しみ、悩みの中
に置かれる。「主は、あなたを苦しめ、飢えさせて」とあり、主
が苦しめ、飢えさせられる。人は順境にある時、自分は良い
人間と思うかもしれない。

何の圧迫も、あつれきも無い中なら、周囲が全員親切な愛
深い人々ならどうだろう。いつも相手に譲られていたなら、
争いもなく、自分も穏かでおれる。しかし主は私たちを愛され、
真に主の恵みのまっただ中を歩ませるために、自分も知らな
い、自分の本当の姿を見せられる。そうでなければ無に帰し
てしまう。それゆえ、嫌な、心乱される相手を目の前に置かれる。

真の弱さを知らない限り、主にすがって生きようとは思わな
い。そのため自分の醜さ、愚かさ、汚さ、罪深さを見せて下
さる。それは、喜びの良い地に導くためであり、私たちを幸
せにするためだ。試練は、その役目をする。順境の中なら、
主に頼る必要が無く、自分の力で生きて行けてしまう。主か
ら離れて生きていて、気づかない。

人は、試練の中で初めて自分の本性を知る。主の大きな恵
みにあずかるために、どうしても必要なステップだ。「人がそ
の子を訓練するように、主があなたを訓練」「あなたを苦しめ、
ついに幸せにするため」。必ず、後に、苦しみに会った事は、
幸せでしたと、言える。

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主はあなたを苦しめ、飢えさせと。苦しみは主から来ている。
偶然や不運ではない。耐えられない試練は無く、脱出の道も
ある。受け止め、何を教えて下さっているのかを、主に問おう。
その学びは霊的宝だ。