2026年08月09日(日)

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、 わたしのところに来なさい。わたしがあなた がたを休ませてあげます」マタイ11:28



ある人の証しだ。信仰を持つ前の自分は、自
分の本当の姿を正視できずに、自分を実際以
上に見ていた。常に周囲より優れた者とし、優
越感に浸り、人を見下していた。まさに高慢そ
のものであった。そんな自分なので、人の良さ
を認める事ができない。認めるなら、シーソー
のごとく、相手が上がると、自分が下がる事に
なる。

人生は勝ち負けだった。だから、決して自分の
弱さなど認められない。認めたら負けであり、
人に弱みを知られるなら、自分が下位になる。
弱みなど絶対に知られたくない。自分の弱さは
隠す事になる。しかし実際は、弱いもろい人間
であった。優越感と劣等感は表裏一体であり、
優越感に浸れば、必ず裏返しの劣等感に陥る
事になる。

優越感だけを感じる事は出来ない。劣等感か
ら妬みで苦しむ事になる。仕事で不振が続き、
成果が出せず、精神的にも追い詰められ、心
身ギリギリの状態になった。そんな時、友人に
誘われ教会へ足を運んだ。もうボロボロで、
疲れきっていた。

スポンジが水を吸い込むように、初めて聞く
聖書の言葉が、ぐいぐいしみ入った。わけが
わからず涙が出た。主に出会い、初めて主の
愛を知った。競争社会の中で、肩を張り、突っ
張っていた自分は、初めて心の安堵、平安を
経験した。装う事も背伸びする事も必要く、自
分でおれた。何という救いだろう。

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時に疲れ果ててしまう、身動き取れなくなる。
しかし、主のもとに行く時、休ませて下さる。
状況は、まだ変わらずとも、まず心に平安を
下さる。