2009年03月27日(金)

「しかし今、こどもは死んでしまった。私はなぜ、断食をしなければならないのか・・私はあの子のところへ行くだろうが、あの子は私のところに戻っては来ない」Uサムエル12:23



ダビデは病気の我が子のため、断食して癒しを祈り続けたが、願いは叶わず子供は死んでしまった。子供の病気を知った時、ダビデは地に伏し、食事も取らずに祈り続けた。

ダビデの子供への、その強い深い思いを知る家来たちは、子供の死をとても告げられなかった。しかし、家来たちの様子で、その死を知ったダビデは、起きあがり、身体を洗い、着物を着替え、主の宮に入り礼拝した。

そして、食事を取った。家来達は驚いた。子供が生きている間は断食をして泣いて祈ったのに、亡くなると起き上がり食事をするとは。

私達はこのダビデから学ぶ事が出来る。ダビデはいさぎよかった。
自分の願いは願いとして、主に祈るべきだ。しかし、しばしばその結果が自分の願いと異なる事がある。

「ノー」の答えがある。それは、どんなに熱烈な願いでも「ノー」が答えであり、それが主の御心なのだ。それが最善なのだ。

その時は、その「ノー」をダビデのように受け入れる事だ。受け入れる事が、神の主権を認めることだ。今、あなたも「ノー」の答えを受け取っているか。

ノーは決して嬉しくないが、主の御心として厳粛に受け止めよう。
そこで主を新たに知る。その答えはノーだが、霊的にはイエスで、一歩成長して、信仰に前進して行ける。後に必ず良かったと思える。
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様々な祈りの答えがある。すぐに答えられる祈りばかりでなく、別の道への示しが与えられる時もある。主を認め、さらに導きを待ち望むことが祈りの答えであるかもしれない。