2009年06月26日(金)

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道です」Iテモテ6:6



劣等感に落ち込むだろうか。劣等感はなぜ起こるのか。それは人との比較から来る。自分は自分で良い、と思えないので、人と比較し、人との比較の中で自分を確認しようとする。

そこからは劣等感が生まれ、その劣等感ゆえに、優越感を持ちたい。優越感は、劣等感に変わり、アップダウンを繰り返す。その根にあるものは「高慢」だ。高慢から来ている。

劣等感から妬みや羨望が生じ、妬みから憎しみへと罪を犯して行く。自分に無いものを持つ人、自分が喉から手が出るほど欲しいものを持っている人、そんな相手に嫉妬し、憎しみを抱く。

その思いの底を探ると、自分には、あれが無い、これが無い、だから自分はダメ・・無いものばかりを数えていないだろうか。
そうでなく、神から与えられているものに目を転じよう。沢山のものを与えられている。一つ一つ数えて感謝を献げよう。

そして、与えられている賜物を大切に主のために使って行こう。
賜物を主のために使って行く時、必ず喜びが来る。御霊の喜びが臨む。感謝する事は、神を認めることだ。

すべての事において神の支配と主権を認め、受け入れる事になる。そこに不満は無い。人は天から与えられてこそ受けることができる。そこに信仰的態度があり、そこには平安があり、心には満足がある。
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神様が与えて下さっているものをよく見てみよう。不満は、感謝へと変わらないだろうか。人のものに目が行く時、それが苦い思いに変わっていく前に、一つでも与えられたものに感謝を献げてみよう。