2009年08月27日(木)

「主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた」イザヤ61:1



私たちは、罪人であり、不完全だ。自分も人を傷つけ、人からも傷を受ける。
今までに親から受けた傷や周囲から受けた傷が心にあり、それが、御言葉を神の言葉として、素直に受け取る事を妨げている事がある。

裏切られるかも知れないと、人が信じられないように、御言葉が信じられないのだ。
自分では信じているつもりだが、心の奥底で神の愛が信じられない。信じて大丈夫なのかと恐れがある。傷を受けているからだ。

御言葉を信じないから、頭ではわかるが、いまいち実感無く、わからない状態になる。
それは無意識であり、まず、傷を認識していない。心深く押し込め、ふたをし、見ない事にしている。だから自分でもよく認識できていないが、そこにそのままある。

主は傷を癒すために来て下さった。癒されるためには、必ず、現状を認めなければならない。アル中が癒されて行く人は、「私はアルコール依存症です」とはっきりと認めた人だ。

「私には〜の傷があります」とはっきり認める時、主は癒して下さる。苦しみ、痛み、感情も抑え込まず、主のもとに何もかも持って行って良いのだ。
そのままの気持ちを、主に注ぎ出す時、自分自身の感情を自分が知る。
それらを主に告白する時、主に癒されて行く。「心の傷ついた者を癒すために」来て下さった。
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あいまいにしている傷や痛みは、あいまいなまま残る。いつまでも付きまとわれる。
そこから解放され癒されるためにも、見たくない部分を示されることが恵みだ。恐れず、主に委ねていこう。