2009年11月26日(木)

「だれでもキリストのうちに、あるなら、その人は新しく造られたた者です」Tコリント5:17



自分をあるがまま受け入れることが、大切との考え方から、そうしないから、問題が起きると言われる。正しい自尊心は大切であり、そこが歪んでいると、仕事面や対人関係で問題が生じる。しかし、本当の問題はそこではない。

アダムとエバがエデンで、神に逆らい罪を犯した。自分を、あるがまま受け入れなかったからではない。根本的な事は、神に対する関係だ。神に対して犯す罪の問題だ。罪が、神と自分の間を妨げ、平安を無くしている。

神との関係が正しければ、どんな状況の中でも平安があり、癒されて行く。成育歴がどんなに悲惨であろうと、もし、キリストにあるなら、その人は全く新たにされ、新しく造られた者だ。

古いものは過ぎ去って、すべてが新しくなった。今から新しい人生が始まる。どんなに環境のせいにし、親を責めても、そこに何の解決も無い。解決は主の内にある。主に在って赦され癒されたので、人を赦して行ける。
キリストの内にある自分を絶えず思い、新たにされている事を、信仰によって受け取ろう。

新しく造られた今、これからの歩みは、自らの選択であり、自らの責任だ。御霊の導きに従うことを選択できる。又、古い肉の劣等感や、恨み、屈折も選択できる。自分の選択であり、自分が選んだ方を結実させて行く。
御霊の導きに一歩一歩従おう。ここに解決があり、変えられて行く自分を発見する。
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主を受け入れた時から、もう一度新しく生まれ変わった。古い自分は主と共に十字架で死に、主が私の内に生きておられることを事毎に思い起こそう。その事実の上に、自らの生活を築いていこう。