2010年01月27日(水)

「なぜ、このようなことをたくらんだのか。あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」使徒5:4



アナニヤとサッピラの間違いは、偽った事だった。ペテロは「企み」だと言った。ちょっと魔が差した、でき心ではなく、確信犯だった。その前にバルナバが畑を売って、皆の賞賛を受けたのを見て、自分達もそれを欲しがった。

しかし、バルナバや献げた人々には「信仰」があった。これを献げてしまって、もし、病気で働けなくなったら?その時は、主が、必ず与えて下さると信じていた。だから献げた。

だが、アナニヤとサッピラにはその信仰が無かった。恐れと不安で全部を献げるなど到底できなかった。大切な点はここだ。全部献げなくても構わない。一部なら一部で良い。決して「振り」をしない事だ。

信仰深い振り、霊的な振り、神を愛する振り、それが欺きだ。
「そこまでの信仰はありません」「献げられません」「一部です」と言う正直を、神は喜ばれる。

信仰薄いと正直に認める人に、神は信仰を与えて下さる。信仰がないと、自分の力と思いで生きて行くので、そこに神が働けない。アナニヤとサッピラは、主を信じながらも、自分の力で人生を歩んでいた。だから目に見える人の評価や評判を求めた。

「献げられない」「不安だ」「人が気になる」「人に認められたい」と主の前に正直に認めて行こう。その時、主に確かに触れ、自分が変えられて行く事を、必ず発見する。
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信仰生活が長くなると自分も何かしら持っている気になる。振りの自分に自分が欺かれてしまったら神様に頼ることも出来ない。神様の前では、いつもありのままの自分でいよう。