2010年08月27日(金)

「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます」Uコリント9:7 

この「いやいやながら」は、「苦痛」の意味で、「強いられて」は「義務感」のような意味だ。ある婦人が、結婚時に事情で姑と同居になった。良い嫁でありたい、そう思われたい一心で、家事も完璧にこなしたいと頑張った。しかし、ベテランの姑から見れば、不足だらけだ。

気負っている自分は、何とか認められたい、愛されたいと更に行ないに拍車がかかる。しかし、しんどいばかりで、心に喜びなど全く無かった。一番辛かったのは、姑との関係だった。何かギクシャクして、温かい信頼関係が築けない。幾ら頑張っても受け入れて貰えない、段々力尽きて行った。しんどくて、虚しくて、いつしか嫁である事が苦痛になり、家事も義務感だけになって行った。

そんな時、夫の転勤辞令が来て、姑は他の兄弟のもとへ行く事になった。今までの事を、主の御前に心を打ち広げ、何もかもを、気持ちのことごとくを打ち明け、祈り、主と交わっていた時に、御霊は重大な気づきを与えて下さった。どれだけ頑張っても、受け入れて貰えないと思っていたが、実は心を閉ざしていたのは、自分の方だったことに。

自分が姑を受け入れていなかった。心から悔い改め、自分を主に明け渡した。その時、自分の心の壁が崩れ落ちるのを感じた。平安が満ち、心が解き放たれた。神に心を向け、焦点を合わせた時、神の愛に溶かされ、神が、喜んで与える者と変えて下さる。
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喜んで与える人を神様がまた満たして下さる。いやいや苦痛でやっているのなら疲労と不満しか残らない。喜んで与えられないから、具体的に現していけるようにとの祈りを忘れてはいけない。