2010年09月26日(日)

「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」使徒8:1

迫害という、一見苦しい、辛い、過酷な出来事が起こった。生死に、命に、関
わる厳しい苦難だ。しかし、この迫害が、取りも直さず神の新しい働きのために
用いられたのだ。

「エルサレム、ユダヤ、サマリヤの全土、地の果てまで証人とされる」との御旨
の通り、福音がエルサレム以外の地域で語られ始めた。活気的な重大な出来事だ。
教会の新しい働きは、突然始められて行った。

迫害はマイナスの事、痛い事、苦しい事、不都合な事だが、振り返る時、神の御
旨の成就であったとわかる。つまり、すべてを見通す神の目からは、御旨の素晴
らしい成就である事が、私達にとっては、時に悩み、困難、問題の形で現れる。

激しい迫害が、辛く、苦しい出来事が、実は、地の果てまで証人とされて行く、
という事の成就であったように、今、あなたにとって、「何でこんな事が?」
「どうして?」と理解出来ない目の前の事態が、実は神の目からは、正しく事が
進んでおり、素晴らしい御心の成就となる。

結実が待っている。今は、理解不能だが、確かに神が最善を備えておられる事を
信じよう。「激しい迫害が起こり」・・病気、けが、リストラ、倒産、経済的苦
境、対人関係のあつれき、別離、この事がどのように素晴らしい結実となるのか、
神の視点に立ち、期待して待ち望もう。

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自分の目から見るなら、一見、祝福と真逆の、あって欲しくない事態、辛い状況、
どうしてこんな事が?の事態が、実は素晴らしい祝福に結果する事になる。理解
出来ない事が起こるが、その中で神を信じていよう。人の思いを越えた結実が待
っている。