2011年01月27日(木)

「しかしはしための子も、わたしは一つの国民としよう。彼もあなたの子だから」創世記21:13



イシマエルの後、約束の子イサクが誕生した。するとイシマエルがイサクをから
かい、いじめるようになり、サラは、イシマエルを追い出すよう、アブラハムに
要求した。アブラハムにとれば、両方共自分の子供なので、悩み苦しんだ。しか
し、神により導きを得て、母子を出した。二人は荒野をさまよって、食料も水も
尽きた。子供に何も与えてやれず、ただ死を待つだけだ。

この悲惨な状況に、どんなに心は辛く悲しく、嘆きと苦しみだったろう。絶望だ。
ハガルは声を上げて泣いた。その時、決して見捨てられていなかった。「神は少
年の声を聞かれ」、はしための子も、一つの国民とすると言われた。神の助けの
手が伸べられた「神がハガルの目を開かれたので、彼女は井戸を見つけた」子供
に水を飲ませることができた。

その時、井戸が掘られたのでなく、そこに井戸はすでにあった。ハガルは井戸の
すぐそばにいた。そばに井戸があったに関わらず見えなかった。私たちも学べる。
信仰人生で数々の困難に出くわすが、問題が問題なのではない。霊の目が閉じて
いる事が、目が見えない事が問題なのだ。

ハガルが叫ぶと、神が目を開かれた。そして井戸を見出した。絶望、失望、不信
仰の中では何も見えない。真っ暗闇だ。問題の中で神に向こう。そこに光がある。
御言葉を与えられるよう祈ろう。神に向いた途端、目が開かれて、解決への糸口
を得る。
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逆境の中で主を見失ってしまう時が一番恐ろしい。そこに主がおられる。目を主
に向け、必ず助けがあり必要に応じて下さる導きに気づける。どんな状態であれ
神様に心が向く時、だんだんと光が見えてくる。