2011年02月24日(木)

「ザアカイ・・きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」ルカ19:5


ザアカイはユダヤ人でありながら、ローマの手先として、同胞から搾取して私腹を肥やしていた。それでユダヤ人から毛嫌いされていた。遊女や殺人者ほどに、罪人と軽蔑されていた。そういう事が充分わかっていながら、尚、ザアカイは、取税人のトップにまで昇りつめた。富が自分に喜びを与え、幸せにしてくれると、信じたのだろうか。

又、脊が低かったザアカイは劣等感にさいなまれ、地位と富を得て、周囲に自分を認めさせたかっただろうか。しかし、大資産家にはなったものの、嫌われ者であり、疎外され、孤独で、寂しく、どんなに惨めであった事だろう。どうしても主を見たいと願った、ザアカイは虚しさで一杯だった。

そのザアカイを、主は名指しで呼ばれ、責めず、説教されず、あるがままを受け入れられた。ザアカイはその愛を受けて180度変わった。私たちも、人に認めて欲しくて、頑張っていないか。主に受け入れてもらおうと、あれもこれもしていないか。それなら恵みではなく律法の下にいる。必ず疲れて、不満が出て来る。

あなたの家に泊まる=あるがまま受け入れられている。そこから出発する時、喜びと平安のまっただ中だ。たまたまザアカイだったのでなく、ザアカイを選び、ザアカイでなければならなかった。そのように、あなたの名を呼んで愛していて下さっている。
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あるがままの自分を知らないのが自分かもしれない。御言葉も聞き、礼拝にも行きそこそこの自己肯定をして生きていないだろうか。ありのままの弱さ醜さを知って、そこを主に取り扱っていただきたい。