2011年04月26日(火)

「彼は・・役に立たない者でしたが、今は・・役に立つ者となっています」ピレモン11


オネシモは、ピレモンの奴隷であったが、主人のものを盗み逃亡した。しかし、捕らえられ投獄、そこで主人ピレモンを知っていたパウロに出会う。オネシモはパウロに導かれ回心した。当時、逃亡奴隷は死刑だった。パウロは新生し、変えられたオネシモを確認し、ピレモンに主に在る兄弟として、受け入れてくれるよう手紙を書いた。

オネシモは彼の名の通り、無益な者が「有益な者」に180度変えられた。私たちの人生も同様だ。様々な事態が生じ、時にはその先が見えず、大きな不利益、負の事態にしか見えない事が、「万事を働かせて益」とされる方により、大いなる祝福とされる。今、何の益も見えず「これが一体何になる?」としか思えない事態が必ず豊かな祝福へと導かれて行く。信じよう。

又、パウロは摂理の信仰を持って、事態を見た。オネシモは主人を裏切って逃亡した。だが、信仰のメガネをかけて見る時、それはオネシモを永久に役立つ者として、取り戻すために一旦離されたのだと。私たちも信仰に立って、すべての事柄に神を認め、摂理を認める時、物事の見方が全く変えられる。ガッカリし、失
望落胆する時こそ、神のご計画を認める時だ。必ずその事態が有益なもの、大きな祝福とされる。今失望していたなら、信仰的見方に立とう。
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神の恵みは常に先行している。今何が起こっているのかわからない状態だろう。しかし神の大きなご計画の一部を生きていることを信じて、信仰に立ち委ねていこう。