2011年11月26日(土)

「わたしの民は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの 水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘 った」エレミヤ2:13

イスラエルが二つの悪を行なった。一つは、湧き水の泉である神を捨てたこと。
神に頼る事をしないで、自分の力で生きて行く。神に自らを、人生を委ねる事が
出来ない。神をそこまで信じる事が出来ないので、その結果、自分の判断、知恵、
自力で歩む。

神が悲しまれる悪だ。水が必要なのであれば、神に求めれば良い。神に祈れば良
い。神は湧き水の泉であり、与えたいと思っておられる。しかし、神に頼らず自
分で自分を守る。

二つ目に壊れた水ためを自分のために掘ったこと。神以外の「多くの水ため」を
求める。金銭、名声、地位、人からの賞賛・・偶像だ。心の満たしを求めるが、そ
れは「壊れた水ため」であり、幾ら水を溜めようとしても流れ出てしまう。決し
て心に満足を与えることはない。

富、地位、名声が、幸せを、喜びを、満足を与えてくれると懸命に水ためを掘る
が、一生満たされることはない。問題は、湧き水である神を捨ててしまったこと
だ。湧き水なら幾ら汲んでも〃尽きることがない。尽きざる喜びと平安が湧き上
がる。

私たちにとって「壊れた水ため」とは何だろう。ある人は仕事であり、金銭だと
示された。主のためにと事業を始めたはずが、いつの間にか経済的安定、お金の
事ばかりに支配されていたと。神の国と神の義をもう一度心に定めさせられた。
あなたの「壊れた水ため」は何だろう。

・・・・・・・・・・・・・
湧き水の泉である主、湧き水なら、底が尽きる事なく湧き上がる。どんな時にも
平安と喜びが湧き上がる。問題は湧き水である主を心底信じる事が出来ない、頼
る事が出来ないので、水ためを掘る。そこを認めてそこから始めよう。ありのま
まを祈る時、一歩〃導いて下さる。