2012年01月27日(金)

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ」イザヤ55:8


信仰生活を長く歩むと、一つの事に気づく。それは信仰人生は、自分の思い通りにはならないという事だ。決して思い通りにならない。「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なる」と、主が明確に言われている。自分が思っている事と、主の思いは、かなり異なる。しかし、肉の自分の思い通りになるより、遙かに素晴らしい、神の最善の道が用意されている。

念願の進路、進みたい道が閉ざされるなら、神の意志と受け止めよう。その所で、神のみ思いを尋ね、御心を求めよう。神は、あなたのために、遙かにふさわしい、良い道を備えて下さっている。結果的に、後に、それが最善であったと必ずわかる。病気の癒しを祈って、与えられない時は、その病を受け入れて行く事を学ばされる。様々な難しい対人関係は、良き訓練だ。目の前の相手を、神が置かれている。

周囲がすべて寛容で柔和な人々であれば、自分の本当の姿を知る事もない。又、どこで忍耐を学ぶのだろう。摩擦が生じる相手、イライラする相手、ぶつかる相手が置かれる。それらの人々により、自らの内にある短気、怒り、妬み、憎しみ、高ぶり、プライドがあぶり出される。以前からあったものであり、自分の姿だ。それを逃げても、必ず次の相手が現れる。砕かれ、きよめられるためだ。

強い願いがあり、祈っているがなかなか答えられない時、感触が無い時、「御心は何ですか」と自分の願いでなく、主の御心を尋ねてみよう。思い通りにならない様々を通して自分が変えられ、確かな成長が与えられる。
------------
クリスチャンの武器は成長だ。思い通りが最善と、自己中心に生きる道もあるだろうが何一つ変わらない。思い通りにならない時がチャンスと神様のご計画を思い、良き訓練と受け止めたい。