2012年02月25日(土)

「人は自分の行ないがことごとく純粋だと思う。しかし、主は人のたましいの値 うちをはかられる」箴言16:2



ある人が、対人関係において、自分は常にフェアであろうとして来たし、そうし
ていると信じていた。自分は人を決して偏見で見ていないし、そう見る人は間違
っていると思っていた。しかし、ある時、御霊に心の底を照らし出された。自分
の心の奥深くでは、自分はそんな人達のようではないと、優越感を持ち、そんな
人々を見下している事に気づかされた。

そして、決して表には出さないが、心では人を差別をしている醜い自分に気づか
された。まさにパリサイ人そのままであった。しかし、気づかなかった。神に反
抗し、敵対しているならわかりやすいが、表面的には、正しくあろうとし、神の
心にかなおうと、従おうとしているので、全く気づかない。

御言葉と御霊の光が臨む時、御言葉は鏡となり、私たちも、普段気づかない心の
奥底が見せられ、自分の本当の姿を知る。愕然とするが、主はそんな事はすでに
ご存じの上で愛して下さっている。主は知っておられるが、自分が自分の本当の
姿を知らない。

試練を、行き詰まりを通して、本来の姿を見せて下さる。余裕のある時は、幾ら
でも自分を繕えて、うまく見せられる。が、せっぱ詰まった時に、全く余裕の無
い時に現れる姿が、自らの本当の姿だ。「あの時は疲れていて」「相手がああい
う言い方をしなければ」という言い訳や弁解をせず、自分を正当化せず、その自
分を認めて行く時に、変えられて行く。そしてあるがまま愛されている、主のご
愛を知る。

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主に従っているつもりであり、御言葉を聞いているつもり、あえて逆らう思いは
無いので、「つもり」に隠され、自分の本当の姿がなかなかわからない。繕って
いる事にも気づかない。行き詰まりは祝福だ。落ち込む事なく、それを認めて行
く時に、成長へと導かれる。