2012年06月26日(火)

「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです」Tペテロ2:2


信仰生活において、御言葉は力であり、行く道を照らしてくれる光だ。「みことばの乳を慕い求めなさい」とあるように、祈りは呼吸であり、御言葉は乳だ。祈りと御言葉は、無くてはならないものだ。なぜ、日毎に、御言葉が必要なのか。この世で生きている私達は、日毎にこの世の価値観にさらされ、激しい攻撃を受けているからだ。

意識するとすまいと、凄まじい影響下にいる。全く正反対の価値観だ。この世は地を目指し、自らの判断と自らの力、知恵を根拠に、自分の栄光のために生きる。私達は天を目指し、御言葉を根拠に、神の御心を行ない、神のために生きようとする。サタンは、私たちの価値観の部分に影響を与え、巧妙に誘惑を仕掛けて来る。価値観にさえ働けば、簡単に行動を操作できる。

人はまず思考があって、価値観があって、行動があるからだ。御言葉や祈りから離れると、クリスチャンもすぐに古い性質、肉の価値観で行動してしまう。自分の損得、自分の賞賛、自分の欲望、自分中心に、自分の都合のために生きてしまう。生まれつきの性質だ。御言葉によらずに、自分の思い、判断で行動してしまう。

御言葉は、自我や肉の判断に日々気づかせてくれる。軌道修正される。日々御言葉を聞き、御言葉によって自分の考え方が正され、御言葉による価値観が培われて行く。
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御言葉を通して神の声を聞いていなければ、漠然とした人の思惑や自分の内からの声で、すぐに古い価値観に舞い戻ってしまう。弱い者だ。繰り返し御言葉を慕い求め、よく備えて確かな歩みをしよう。