2012年10月27日(土) 「・・私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを 保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」Tヨ ハネ1:7
「・・私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを 保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」Tヨ ハネ1:7
人間である以上、誰しも失敗する。あなたも失敗した事があるだろ うか。ある人が手痛い大失敗をしてしまった。よく考えもせずした 罪の行為に、後悔しても、しきれなかった。自分としたことが、何 と愚かな事をしてしまったのだろう。 自分では無いと思いたい。しかし、御霊に示された。紛れもなく、 それが自分なのだと。愚かな者であり、実際そのような者なのだと。 高慢を砕かれた。欲望のままに歩んでしまう、自分がいかに罪深い 者であるかを知り、砕かれた。 主の十字架が、まさにこの自分のためだと知らされた。それまで、 罪人と言われてもピンと来なかった。むしろ心の中では、自分は良 い人間だと思っていた。しかし、自分が罪を好み、自然にしていれ ば罪を犯し、又、罪を犯しても、罪がわからず平然としている罪深 さを知った。 過失を犯してしまったが、痛く辛い所を通ったが、初めて十字架が 自分のためであるとわかった。人前にも、隠しようのない事が益と された。人に知られて恥ずかしく、プライドは砕かれ、へりくだら された。もし、人目に隠しおおせたなら、懲りずに、次はバレない ようにやろうと考えたに違いない。 バレた事が悪いのであって、バレさえしなければ問題無いと。どん なに罪深い者であるかを、主は教えて下さる。罪を認めて悔い改め よう。罪の深さと共に、主の赦しを知り、主の恵みがどんなに大き いかを知る。 ・・・・・・・・・・・・・ 光の中にいたい。御霊が絶えず罪を示して下さる。悔い改め、その 罪は完全に赦される。罪を犯してしまうが、赦されて赦されて、更 に主のご愛を知って行ける。罪がわかる事が恵みであり感謝だ。暗 闇の中なら罪がわからない。