2013年02月24日(日) 「彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。 それで、そこはマラと呼ばれた」出エジプト15:2 3
「彼らはマラに来たが、マラの水は苦くて飲むことができなかった。 それで、そこはマラと呼ばれた」出エジプト15:2 3
エジプトを出たイスラエルの民が、荒野に入って3日目にマラとい う地に着いた。荒野を歩いて、水は無く、民は、喉が渇きカラカラ であった。マラで、水に大喜びし、飛びついたが、その水は苦くて 飲めなかった。 民は不平不満で一杯になって、モーセに食ってかかった。モーセは 主に向かい祈った。すると、一本の木を示され、その木を投げ入れ ると、水は甘くなった。あなたも、心が苦みで一杯になる時がある だろうか。 消えない憎しみや妬み、敵対心、不平不満、心が辛さでいっぱいだ ろうか。その時の解決は、一本の木である十字架だ。十字架から、 赦しと平安が流れ出る。主の赦しによってのみ、憎しみや妬みが消 え去る。 又、過去の失敗、過失はどうだろう。罪のとがめに縛られて、がん じがらめだろうか。そこから絶えず、苦い思いが泉のように湧き上 がり、心が苦しくてたまらない。この解決にも、一本の木、十字架 が備えられている。 主の十字架の血潮によって、過去の罪は完全に赦され、罪責感から も解き放たれる。赦された平安で満たして下さる。あなたにも心に 苦みがあるなら、一本の木、十字架を投げ入れよう。心の苦みが、 平安と喜びの甘い水に変えられる。そして、苦みが湧き上がる度に、十字架の血潮で、赦し、きょめて頂こう。 ・・・・・・・・・・・ 苦い水が、十字架によって甘くされる。憎しみ、妬み、怒り、不満 の苦いものが、十字架のもとで平安と喜びに変えられる。愛の無い 苦い心に、愛が与えられる。十字架をじっと見上げる時、不満が消 えて行く。