2013年03月27日(水)

「私は満ち足りて出て行きましたが、主は私を素手で帰されました。なぜ私をナオミと呼ぶのですか。主は私を卑しくし、全能者が私をつらいめに会わせられましたのに」ルツ1:21 
 
飢饉の際に、エリメレクとナオミ夫婦は、異教の地モアブへと食糧を求めて移住した。そのモアブでエリメレクは死に、二人の息子はそれぞれ妻を迎えたが、息子たちも死んでしまった。やがて、故郷の飢饉が去り、神がパンを下さったと聞き、帰郷の決心をした。モアブの地から「帰ろうとした」つまり、神に立ち返ろうとした。

その時、嫁のルツがモアブへの帰郷を捨て、まだ見ぬ異国の地へ、ナオミと共に行く決心をした。それは、ナオミの背後のまことの神を見て、神に従う決心であった。故郷に戻ると、女たちが「まあ、ナオミではありませんか」と言うと、「私をマラ(苦しむ)と呼んで」と言った。ナオミは、家族の幸せのために、神から離れ、異教の地へ逃れた。

しかし、「私は満ち足りて出て行ったが、主は素手で帰された」と。主が私を辛い目に会わせられたと。ナオミは砕かれ、へりくだらされた。しかし、主に立ち返ったナオミには、ルツが与えられていて、神に従った二人には、すでに豊かな備えがあった。

ベツレヘムに着いたのが、丁度、時ピッタリに大麦の刈り入れの頃であった。まさにその「時」を導かれたのは、主であった。落ち穂拾いで、生活の糧が与えられた。そしてルツとボアズの結婚が備えられていて、素手で帰った手に、孫を抱く事になる。どんな時でも、いかなる場合であろうと、主に立ち返ることができる。そして主は豊かに祝福して下さる。
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素手となってはじめて主に立ち返れた。なんと感謝なことだろう。私達も両手に多くのものを持とうとし、繰り返し失敗するが、素手の自分に気づき、それこそが一番豊かだと、主の備えを喜びもって待ちのぞむ歩みに変えられて行きたい。