2013年04月26日(金)

「私のたましいを御手にゆだねます。真実の神、主よ。あなたは私を贖い出してくださいました」詩篇31:5



ダビデは、サウル王に代わって、主から選ばれた器だった。サムエルが主から、エッサイのもとに遣わされ、羊飼いの少年ダビデに会った。ダビデはサムエルから油注ぎを受け、主の霊が、ダビデの上に激しく下った。イスラエルの王と定められていたが、その過程には、長い厳しい下積み時代があった。ダビデは忠実に、主と、サウル王に仕えた。

ゴリアテを倒したまでは、サウルの愛顧を受け、良かったが、ダビデの勝利に次ぐ勝利で、サウルの妬みをかう事になってしまった。女たちが笑いながら、くり返し「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と歌った。これがサウル王を激怒させた。「サウルは千を打ち」だけなら良かったが、「ダビデが万」がサウルのプライドをひどく傷つけた。結果、サウルはダビデをつけ狙うようになった。

ダビデは槍を投げつけられ、追い回され、命を狙われた。常にいつ殺されるかわからない、死と隣り合わせの日々だった。どんなに恐怖で不安だったろう。しかしこの期間により、ダビデの忍耐と信仰は練られ培われた。自分の手で、サウル殺害のチャンスがあったが、いっさいを主の御手に委ねた。

自分でどうにかせず、ただじっと主を待ち望んだ。この厳しい苦しい時を通る事により、委ねる生き方が身についた。私たちも時に、極めて厳しい状況を通る。それは委ねる生き方が、自分のものとされるためだ。これは実地訓練であり、通らなければ、決して身につかない。
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もう委ねるしかないと追い詰められるまで、なかなか主に渡せない。ゆだねて、主の御わざを拝し、心からへりくだり感謝する経験は辛くても幸いな訓練だ。自分の手の届かない心配の中も必ず主が良くして下さると信じ祈って行ける。