2013年08月27日(火) 「・・彼らの心にはおおいが掛かっているのです。しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります」Uコリント3:16
「・・彼らの心にはおおいが掛かっているのです。しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります」Uコリント3:16
私たちは、すでにキリストによって、心のおおいは取り除かれている。すでにおおいは取り除かれているのに、自分が、心におおいを掛けている。救われた後も、新しい性質と共に、古い性質がある。その古い性質に従うと、古い思いのまま、この世の価値観に従うことになる。それは、新しいぶどう酒を、古い皮袋に入れていることになる。 私達のおおいとは、まず自分軸に物事を考える事だ。生活のあらゆる所に浸透している。軸が自分であり、信仰の世界は、神中心なので、自分軸で捕らえると、全く見えずに、わからない。又、状況しか見ていないなら、目の前の状況に飲み込まれてしまう。状況がおおいとなって、何も見えなくなってしまう。そのため、何かがある度に「何で!どうして!」「どこが愛?神はひどい!」になってしまう。 しかし、主に向いて、神視点に立つ時、見方が180度変えられる。 「愛されている」「ご計画がある」「災いはない、平安と将来と希望のためのもの」「益とされる」「成長のため」と信じて行く。又、御言葉も古い価値観で取る時、自分の力で行なおうとしてしまう。すると、出来ないので悩み、落ち込み、落胆してしまうことになる。しかし、主に向く時、「できません。助けて下さい」と、求めればよいことがわかる。そして、御霊が助けて下さることを経験して行く。 ------------ 何で!どうして!と自分で納得しようとして自分軸の見方からなかなか離れられない。ことが起こる前に日毎に「神様の見ているように見せて下さい」の祈りをして行きたい。