2013年09月25日(水)

「みことばを聞いても行なわない人がいるなら、その人は自分の生まれつきの顔を鏡で見る人のようです。自分をながめてから立ち去ると、すぐにそれがどのようであったかを忘れてしまいます」ヤコブ1:23


聖書が与えられている目的は「十分に整えられた者となるため」、人格が造り上げられ、整えられるためだ。単に知識のためでなく、人格形成のためだ。それには、行動が変えられる必要がある。まず「心に植えつけられたみことばを、素直に受け入れ」、主は御言葉を植えて下さるので、私達は「素直に」受け入れる事が必要だ。

御言葉を聞くと、同時に様々な思いがよぎる。「そんな事無理だ、自分にはできない」「本当に信じるだけで大丈夫なのか」と、肉の思いが出て来て、素直に受け取らない。疑いや恐れの方を選んでしまう。そして、御言葉は聞くだけでなく、「実行すること」が重要だ。実行しない限り、自分が変わることは無い。

どうすれば実行できるのか。それは御言葉を「一心に見つめて離れない」とあるように、御言葉を一心に思うなら忘れない。思考は行動へと進む。自分が変わらないのは、聞いても「実行」が欠けているとある。実行しないなら、聞いた事もすぐに忘れる。そして何も無かったことになってしまう。

せっかく御言葉の鏡に映し出された、生まれつきの自分の姿も、無かったことになる。それは自分を欺く事だ。今、あなたに示されている事を「実行」しよう。具体的に従おう。事を実行する人は、その行ないによって祝福される。自分が変えられて、成長して行ける。
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鏡に映し出された顔が汚れていたなら、拭わずにはおられないのに御言葉を読みながら映し出された本心は、すぐに忘れてしまいたくなる。主の前に認め、変えられ整えられたいと祈りたい。