2013年12月27日(金)

「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37:4



あなたの心が、最も喜びとするものは何だろう?人は皆、自分の心を満たしてくれるもの、自分に幸せを与えてくれるものを喜ぶ。自分に満足を与え、幸福感で一杯にしてくれるものを求める。お金が自分を幸せにし、夢を叶え、喜びを与え、生活を保障してくれると思うなら、お金を求めるだろう。

又、人からの賞賛が、自分に満足と幸福を与えてくれるなら、人からの評価に的を合わせて人生を生きることになる。「何を自分の喜びとするか」そこに、自分の時間も能力も持てるものも注ぐ事になる。そしてそのように人生が築き上げられる。自分は何が喜びなのだろう。

ある宣教師は懸命に働きをし、人々が集まれば喜び、人が来なければ、がっくり落胆した。成果があれば喜び、無ければ失望する。しかし、これなら宣教の成果を喜びとしているのであり、主を喜びとしているのでは無い事に気づかされた。主ではなく、主が下さるものを喜びとしている。それなら、自分の願いが叶えられない時、必ず失望するし不満を持つ。

成果でなく、主が与えて下さるものでなく、主ご自身を喜びとして行く時、状況や結果がどうであれ、変わる事のない喜びがある。主との関係の中にいることが、最も心満たされる、喜びだ。別ものを拠り所としていないだろうか。
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結果や成果が究極の目的なら、明日は今日より歳老い、体力も気力も減る。全てを益として下さる主を仰ぎ見て、主と共に歩む過程が喜びであるとは、なんと希望に満ちた毎日だろう。