2014年02月24日(月)

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます」ヨハネ14:27 


ある男性が、仕事が忙しく、過労で許容量オーバーで、もうヘトヘトだった。そんな中、少しまとまった休暇が取れた。仕事から解放され、しばし休養できる事に、大いに喜び、感謝した。ところが休暇に入った途端、バッグをどこかに置き忘れてしまった。行った場所に戻っては、通った道筋を探し回った。行った先に電話もし、確認したが見つからない。仕方無く、カード類はすべて差し止めの電話連絡をした。

財布にはかなりの金額が入っており、がっかり意気消沈した。免許証はすぐに必要なので、とりあえず再発行に出かけた。バッグは見つからず、走り回り、心は重く、ぐったり疲れ果ててしまった。せっかくの休暇が、更に疲労を重ねてしまい、これは一体どういう事なのか。主の御前に心を静め、祈りの時を持った。その時、どんなに休暇があり、物理的に時間があったとしても、主の平安が心になければ、全く休まらない事を思い知らされた。

主の平安がどんなに素晴らしいもので、感謝な事かに改めて思い至った。私たちも同様だ。どれほど休暇があったとしても、主の平安が無く、思い煩いや心配で一杯なら全く休養にならない。主がすべての思い煩いと不安を受け止め、平安を与えて下さっている事に、今一度感謝しよう。そして、すべての考えにまさる神の平安を絶えず備えて下さっているので、今、目の前の、その思い煩いを主に委ねて行こう。
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主が共におられる事を忘れるなら心の安らぎはすぐに奪われてしまう。どんな問題の中でも共におられる主を知って歩むなら、弱さや恐れの中で心は安定し主の平安がいつも私たちを守って下さる。