2014年05月27日(火)

「・・イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられた。しかし、ふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった」ルカ24:15


エマオ途上の弟子たちは、「暗い顔つき」で、郷里に向かっていた。
主の復活を信じていなかったので、主が死んでしまった今、エルサ
レムにいる理由がなく、郷里に帰ろうとしていた。心は、失望落胆、
絶望・・であり、主の復活も、「御使いがイエスは生きておられる
と告げた、と言うのです」と、まるで信じていない、他人事、傍観
者のような態度だった。

不信仰ゆえ、目はさえぎられていて、かたわらを歩き、話しかけて
来られる主がわからない。しかし、主は、そんな不信仰に陥ってい
る弟子たちを、放っておけずに、助けるために来られた。「二人で
話し合っているその話は何のことですか」と問われ、心の内を語り
出させて下さり、答えられた。「・・信じない、心の鈍い者たち」
と。暗い顔で、失望しているのは、心を固くした不信仰によると。

そこで主は御言葉を話され、聖書全体から、ご自分について書いて
ある事柄を解き明かして行かれた。その時、耳を傾けた弟子たちは、
「私たちの心はうちに燃えた」と。暗い顔つき、失望落胆の心に灯
がともり、心がどんどん暖かくなり、赤々と燃えて来た。「いっし
ょにお泊まり下さい」と無理に願うと、主は一緒に泊まられ、その
中で目が開かれた。

私たちも、目の前の出来事、状況に飲み込まれ、思い煩いにさえぎ
られると、主が見えなくなる。しかし、主は、そんな私たちのかた
わらを歩んで下さっている。御言葉に、今一度耳を傾けて行こう。
平安にして下さる。
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目が何かにさえぎられ主が見えなくなっていると心はざわつき平安
を失ってしまう。御言葉に耳を傾ける日ごとのデボーションは、そ
んな心の状態に気づかせてくれ、また新たにされる大切な時間だ。