2014年08月27日(水)

「ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです」マタイ19:30



先の者が後になり、後の者が先になるからには、何かの重大な理由
があるはずだ。それは、その働きの時間量でなく、動機や態度が見
られるという事だ。会社員が、働く時、動機まで問われる事は無い。
結果さえ出せば良い。それがこの世の価値基準だ。

しかし、神の国では違い、神が見られるところは異なる。ペテロの
「何もかも捨てて、従って来た、私たちは何がいただけるでしょう
か」との問いに、主が答えて語られた箇所だ。しかし、主はすべて
を捨てて従った弟子達のその動機を見られる。

園で働いた最初の者と最後の者達は、一日の終わりにその動機が明
らかになった。早朝の者は「一日中労苦を辛抱した」。辛く苦しい
労働であり、主人のために働く事はしんどい、辛い、したくない事
であった。同じ一デナリと判明した時には、不公平との不満と怒り
が爆発した。自分達にはもっと貰う権利があるとの立場だ。

実は早朝から収入が保証され、安心して一日働けたとは何という恵
みだろう。夕刻まで立っていた人々は、不安と思い煩い、恐れで一
杯だったろう。今日の糧が無い。仕事をしたくなくて怠けていたの
ではない。仕事にありつけなかった。

私達はどうか。信仰生活、感謝も喜びも無く不満タラタラ、神のた
めに、してやっているとの態度になっていないか。今一度、動機を
探られ、感謝と恵みに視点を向け、そこに立とう。
-----------
各々が神の目からみて等しく恵まれ愛されているのに、人と比較す
ると、とたんに自分の報酬を値踏みする。目を曇らされず、神と私
の関係、私に立てておられるご計画を見つめ今日も喜んでいたい。