2014年10月27日(月)

「私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました」詩篇73:32 



詩篇の記者は、悪者が富を増し、安らかそうであり、栄えるのを見
て、落ち込んだ。豊かで肥え太っていて、あぶらぎっていて、何の
苦しみもなそうだ。それに引き換え、神を信じる自分は惨めで、苦
しみばかりで、何のよい事もない。この足はたわみそうで、歩みは
滑るばかりだと。どうして神を信じない者が栄えるのかと。

しかし、それは「私が誇り高ぶる者を妬んだ」自らの妬みから来て
いる。そして、その妬みは、人との比較の中にいるから起きるので
あり、神ではなく、人を見ていた。信仰生活で、平安や喜びが失せ
るのは、状況の問題ではなく、神以外のものが心を占め、重きを置
き、第一になっているからだ。

その底に、富への欲望や、人からの賞賛を求め、それを愛する心が
ある。それが人への羨望になって出る。それは、神に焦点が合って
いないからであり、様々な欲求不満や愚痴、イライラでいっぱいに
なる。心に喜びがなく、虚しい。彼は聖所に入った時に、光が来た。
心すさみ、悶々状態の原因は、目の前の状況ではなく、「神と自分
の関係」であると悟った。

神から離れているから、平安が無いのだと。今、平安が無いなら、
目の前の問題のせいと思うかも知れないが、それは全く関係が無い。
心が、神以外の所にあるからだ。逆に、どんな困難な中でも、神と
の親しい交わりにいるなら、心は不思議な平安に守られる。
--------
目に見えるものに惑わされ、同じ価値観で喜んだり落ち込んだりす
る。平安から迷い出たときは、主を見上げ、もう一度主の御約束を
思い起こそう、私たちは高価で尊く愛されている。