2015年03月27日(金)

「『青年よ。あなたに言う、起きなさい』と言われた。すると、そ の死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母親 に返された」ルカ7:14

 

やもめの一人息子が、死んでかつぎ出されるところに、主は遭遇さ
れた。たった一人の息子を失うとは、母親は絶望であったろう。死
だけは、容赦なく立ちはだかり、後戻りも回復も不可能だ。すべて
が打ち砕かれてしまった状況だ。

当時のやもめは、社会的に厳しい状況にあり、唯一頼りであった息
子、生きがいであった息子を失うとは。はらわた裂かれる思いだっ
たろう。生きる望み、支えが無くなってしまい、泣き続けていた。
そこに、主が「泣かなくてもよい」と御声をかけられた。「かわい
そうに思い」「深い同情をよせられ」「憐れまれ」とあり、強い心
底からの同情だ。腹の底からの憐れみが湧き出で、溢れ出て、主は
青年をいやされた。

母親から頼まれてではなく、一方的に主の溢れ出る憐れみによって
であった。「青年よ。起きなさい」の言葉で、青年は生き返った。
主は口先でなく、「深い同情」と共に癒す事のできる「力」を持っ
ておられる。「泣かなくてもよい」はその通りに実現した。

同じ主が、今、悲しみのどん底に、絶望にある私たちに、腹の底か
らの同情を寄せていて下さる。そして、主の御口から出る言葉は、
私たちの心に奇跡を起こし、揺るぎない平安をもたらす。「彼を母
親に返された」取り返し不能、完全に失ってしまった状況に、決定
的解決を与えられた。この同じ主が、今、目の前にいて、あわれん
でいて下さる。

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私たちが絶望と悲しみのどん底にある時、「泣かなくてもよい」が、
主のお心だ。主は断腸の思いで、あわれんでいて下さる。共に悲し
み、心痛めていて下さる。主のあわれみがどんな時にも注がれてい
る。そして主は神であり、力を持っておられる。