2015年06月26日(金)

「・・私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」Tヨハネ1:7


イスラエル全軍が命がけで戦っている最中に、ダビデ王はエルサレ
ムにいて、夕暮れに床から起き出すような生活をしていた。すきと
油断がある時に、サタンはつけ込んで来る。バテシバを見た時に、
サタンの誘惑がダビデに臨んだ。ダビデはとっさに主を仰ぎ、主の
力により誘惑を拒むべきだった。

しかし、欲に負けてバテシバと姦淫の罪を犯してしまった。そこで
主を仰ぎ、悔い改めるべきであった。しかしそうしなかった時に、
罪に罪を重ねて行った。バテシバの夫である忠実な部下ウリヤを殺
害してしまった。ずっと命をつけ狙われたサウルを、機会があった
にかかわらず、決して殺さなかったダビデだが、何の落ち度も無い
部下を殺してしまった。

王であり、誰も何も言えない。人前に隠しおおせたと思ったが、一
部始終を神は見ておられた。「思い違いをしてはいけない。神は侮
られるような方ではない」人は蒔いた種を刈り取る。預言者ナタン
を通して、ダビデの罪はあばかれた。ダビデの素晴らしいところは、
いっさい言い訳、弁解をしなかった。バテシバのせいにしなかった。

「私は主に対して罪を犯した」と自らの罪を率直に認めた。民や部
下の手前、王が罪を認めるとは容易でない。しかし、その瞬間、主
の赦しが臨んだ。「主もまた、あなたの罪を見過ごして下さった」。
この時、ダビデに心底の平安と安堵が戻った。罪を認めることが、
光の中を歩むことになる。そうするならどんな時にも、赦しがある。
赦されて、赦されて歩んで行ける。
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罪を認め、主に告げて悔い改めるなら、光の中に歩むことができる。
なんと感謝なことだろう。罪などありません、赦しも要りませんと、
自らを欺いているなら闇の中だ。主に行こう。