2015年07月27日(月)

「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」マタイ16:24



主は弟子たちに言われた。主について来ようとするなら、自分を捨
て、自分の十字架を負って、ついて来るようにと。自分を捨て、自
分に死ぬことほど難しいものはない。私たちは、自分がどうしよう
もない罪人であることは認めるのだが、自分の思いを通し、自己主
張をし、不平不満をぶつけ、怒りは湧き、どうしても自分を優先し
てしまう。

主に従うと言いつつも、自分の利得を求めている。十字架を負って
いるはずなのだが、すぐ十字架をおろしてしまう。主と共に十字架
についた強盗が、「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラ
エルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、
われわれは信じるから」と言ったが、まさに都合悪くなると、十字
架を降りてしまう。

十字架を負う時に、主のみこころに従おうとする時に、様々な犠牲
も伴うので、十字架を降りてしまう。自分を捨てて従おうとするの
だが、少し苦しみがあると、捨てた自分を取り戻してしまう。今、
目の前に、主からの具体的な示しがあるだろうか。従うために、自
分のプランを明け渡して、進路変更の必要があるかも知れない。

又自分の思い通りでない進路かも知れない。しかし、決心して、主
のみこころに従うことが、自分を捨て、十字架を負って従うことに
なる。
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自分の思いが前面に立つことが、御心に従おうとするとき、はっき
りと分かる。ついて行きたいが出来ない者であることは、主が一番
知っておられる。諦めず何度でも祈り、従えるよう献げて行こう。