2015年11月26日(木)

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります」Uコリント3:16




人からの言葉で傷つく時、自分の反応を考える際に、もし、自分の
知らない外国語で批判され、悪口を言われたらどうだろう。何を言
っているのかわからず、何も感じないだろう。怒りを感じるだろう
か?感じようがない。わからないのだから。という事は、母国語で
発せられた場合は、自分が反応するから、怒りが生じるという事に
なる。

相手がどうのでなく、あくまでも、反応する自分の問題ということ
になる。怒りが湧く、傷つく、なぜその言葉に自分が反応するのか、
心の内にあるものを探り、よく考えてみよう。内に潜む何かがある
から触発され、反応している。プライドに触れるのか、虚栄心か、
劣等感か、誰にも知られたくない弱さに触れるのか、心の何かに反
応している。

認めたくないし、誰にも知られたくないかも知れない。しかし、人
が主に向くなら、視点が変えられる。自分の本当の姿を認め、光に
出す時、解放され、自由にされる。平安に代えられる。認める時に
初めて、ありのまま受け入れられている事がわかる。神が受け入れ
て下さっているなら、何を恐れよう。

「全き愛は恐れを締め出します」人を恐れているので、自分を隠す。
こんな醜い自分が受け入れれられるはずがないと。その恐れを消す
のは、恐れの解決は、神の愛だ。「わたしの目には、あなたは高価
で尊い。わたしはあなたを愛している」と、神に無条件の愛で、愛
されている、それを信じ、そこに立つ時に、恐れから自由にされる。   
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主のご愛は私たちがどうであれ変わらない。人の目や評価に傷つき
反応するとき、静かに御言葉に耳を傾けよう。完全に受け入れられ
ている喜びに満たされてくる。