2016年01月27日(水)

「そこでイエスは・・『わたしに何をしてほしいのか』すると盲人は言った。『先生。目が見えるようになることです』」マルコ10:51


バルテマイは「盲人のこじき」だった。道ばたに座って物乞いをし
ていた。それが生活の手段であり、悲惨な状況だった。しかし耳は
聞こえていて、主の噂を聞いていた。その主が、エリコに来られた
のだ。何という事だろう。千載一遇のチャンスだ。彼はこのチャン
スを決して逃さなかった。目が見えないが、口はきける。主が通ら
れる時に、彼は、精一杯「叫んだ」。彼にできることだった。

「ダビデの子、わたしをあわれんでください」。主がダビデの子で
あるメシアだと理解していた。周囲は黙らせようと、大勢でたしな
めたが、黙るどころか、ますます叫び立てた。決してひるまず、諦
めなかった。人生でまさに一度きりのチャンスかも知れない。必死
であった。主は、彼に目を留め、求めを受け取られ、「呼んで来な
さい」と。

彼はすぐに立ち上がり、主のもとに。「何をして欲しいのか」との
問いに、「目が見えるようになることです」と明確に答えた。彼に
は、主への信仰があった。主には必ずそれができると信じていた。
信じていなければ、叫び続ける事も無いし、求める事もしない。
「あなたの信仰があなたを救った」。

すぐさま彼は見えるようになった。みわざが成された。そして、い
やされた彼は喜んで世に出て行ったのではなく、感謝をもって主に
従って行った。主が崇められるための求めであった。チャンスは捕
らえよう。そして求めを明確にしよう。主は応えて下さる。
--------------
必要に迫ら何でも祈っているつもりでも、半ば諦めながら漫然と祈
っている課題もある。「何をして欲しいのか」と主がいつも向き合
ってくださっていることを覚え、信仰を持って主に答えたい。