2016年02月25日(木)

「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい」Tペテロ3:15




私たちが、苦しみや悲しみの中においても、信仰をもって、平安と
感謝をもって生活する時に、周囲の人々は、なぜそういう事ができ
るのか、と不思議に思う。パウロとシラスが鞭打たれた後、投獄さ
れ、劇痛の中で、賛美と感謝をしていた時に、囚人たちが聞き入っ
ていたように。この世では、そういう状況では、愚痴、不平不満、
失望、怒りが普通だ。人々は不思議に思い、なぜかとけげんに思う。

又、一マイル行く者と共に、二マイル行ったらどうだろう。一マイ
ル共に行く事も難しいのに、二マイル行くとなると、どうして?そ
んな事ができるのか?と聞きたくなる。その時に、希望を伝える事
ができるよう、福音を伝える事ができるように、準備しておくこと
は大切だ。そのチャンスはいつ来るかわからないからだ。

ある人は、離婚という辛く苦しい試練を通ったが、すべてを主に明
け渡し、主に拠りすがって通過した。涙の谷を通り、非常な苦しみ
の中で、世のものでは無い「主の平安」を経験した。状況は悲惨な
のに、主に在る平安に包まれた。感謝が湧いた。

それをじっと見守っていた未信者の父親が、まさに、希望について
の説明を求めて来た。父親は、主を信じ、救われた。聞かれた時、
説明ができるよう準備していよう。そのためにも日々御声を聞いて、
主との交わりの中を歩もう。
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どんな時にも主に頼り、主に従い、賛美できているだろうか。世と
何も変わらぬ反応をし、自分を誇って主の前に出てしまっていない
だろうか。世には無い平安と希望をいつも証していきたい。