2016年03月27日(日)

「あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなたの次に立つ者と なるでしょう」Tサムエル23:17



サウル王には、素晴らしい息子のヨナタンがいた。サウルは、部下
のダビデが、勝利に次ぐ勝利を得て、民衆の大喝采を浴び、人気の
的であることをひどく嫉妬した。その妬みは、殺害願望にまで高じ
て行った。しかしダビデは、サウル王に何一つ悪い事をしていない。
それどころか王のために犠牲的に戦う、忠実で、有能な部下だ。

それなのに、サウルの歪んだ目は、更にダビデを敵視し、殺害すべ
く血まなこになる。しかし息子のヨナタンは、父サウルとは異なり、
信仰の目で、真っ直ぐ天を仰ぎ、神を通して真実を見、受け止めて
いた。普通なら王の息子であるヨナタンが王位を継ぐところだが、
ヨナタンは何よりも「信仰」に立っていた。

だからダビデに「あなたこそ、イスラエルの王となり、私はあなた
の次に立つ者となるでしょう」と言い、ダビデを認め、ダビデの王
位継承を受け入れていた。そして「私の父サウルもまた、そうなる
ことを確かに知っている」と。サウルもダビデが王になることがわ
かっていた。しかしサウルはそれを受け入れる事ができなかった。

サウルにとり、王位は命であり、すべてであり、失う事など耐えら
れなかった。だからダビデを妬み、恐れ、抹殺しようとした。ヨナ
タンも、勇気があり立派で、愛深い誠実な人物だ。王位にふさわし
く見える。しかし大事な事は、王位を定めるのは神であり、神の主
権による。そこに神を認めて行く時、どんな場合も平安だ。
私たちも、もし自分が何かの場に立てられたなら、それは神から来
たものと受け止めよう。

・・・・・・・・・・・・
サウルとヨナタン、王位について神を認めるかどうかで、天と地の
差が出る。神の秩序を認める時、どんな中でも喜びと平安もって歩
める。「行く所どこにおいても、主を認めよ」、主の主権と支配を
受け入れて、平安に歩めるよう祈ろう。