2016年08月27日(土) 「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけで なく、キリストのための苦しみをも賜わったのです」ピリピ1:29
「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけで なく、キリストのための苦しみをも賜わったのです」ピリピ1:29
私たちはともすれば、苦しみは経験せずに、祝福だけを賜わりたい と願ってしまう。しかし、キリストを信じる信仰を与えられた時に、 キリストのための苦しみをも賜ったと言っている。信仰と苦しみは セットだと。この世の宗教は、家内安全、交通安全、商売繁盛、無 病息災、五穀豊穣・・であり、良い事だけを受け、悪い事が起こらな いための信心だ。 悪い事が起きるなら、信心の意味などない。しかし、主が私たちに 与えて下さる賜物は苦しみ、試練もあると言っている。そんな賜物 は避けたいと思うのが私たちかも知れない。しかし、キリストのた めの苦しみがある、と言うことを最初から覚えておく事は有益だ。 家族からの迫害があり、学校や職場で嘲られたり、仲間はずれにな る事があるかも知れない。迫害や苦しみは、悪なのではなく、神か らの「贈り物」だと言っている。それは決して神からのバチや、怒 り、報復ではない。私たちは、苦しみは避けたいし、そこから逃が れたい。しかし逃げて先送りにすると更に問題が大きくなる。 受け入れる事が最善だ。相手に贈り物をする時、どうだろう。相手 にとって良い物、ふさわしい物を選ぶ。試練は、神が私のために選 ばれた私に良い、ふさわしい「贈り物」だと言っている。生まれつ きの価値観と何と違う事だろう。肉の価値観、物差しで見る時、苦 しみは忌むべきものでしかない。だが御言葉を通して、主の価値観 で見る時、それは平安と感謝とされる。 ・・・・・・・・・・ この世では、順風満帆が善との価値観だ。悪い事が起これば、何の ための信仰かになる。しかし、主はすべての事が感謝だと言われた。 無駄な事は一つとしてなく、目的と計画があり、意図がある。主の 愛に包まれている。どんな中も、この主を信じ、主と共に歩めるこ とが幸せだ。