2002年06月26日(水)
「かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり・・御霊による心の割礼こそ割礼・・その誉れは人からではなく、神から来る」(ローマ2:28)
子供が小さい時、手かせ足かせに 感じ、何も出来ないとイラ立つ。又、 自らが高齢になったり、親を介護 するかも知れない。自分が病気に なるかも知れない。家から出られ ないと、神に奉仕する場が無いか のように感じ、孤独になってしまう。 しかし、神に仕えているのに、行 動範囲は問題ではない。むしろ、 その中で豊かに祝福し、成長さ せて下さる。実は、外に出られな い制限は良いものだ。私達の肉 の欲望を断ち切ってくれる。 人に見られたい、人の賞賛が 欲しい。人に良く思われたい、 根深く巣くう、そういう肉欲が断 たれ、神のみを意識した隠れ た奉仕が出来るようになる。 隠れて祈るのだ。沢山の執り 成しの祈りができる。その 隠れた一つ一つを神は見られ、 報いて下さる。神はあなたを 変えようとしておられる。 人前でなく、神の御前に生き るように根本的に変えて下さ る。隠れた奉仕をせよ。