2016年09月26日(月)

「これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた」創世記22:1


アブラハムは長い忍耐の末に、神から約束の子イサクを与えられた。
どんなに愛情を注いだ事だろう。目に入れても痛く無い、最愛の我
が子だったろう。そのアブラハムに最大の試練が臨んだ。神からの
試練であった。その愛する息子イサクを全焼のいけにえとして献げ
よというものだった。最愛の我が子を殺すより、もう充分生きて年
老いた自分が死ぬ方がどんなに楽だったろう。

それにイサクは約束の子だ。天の星のようになるとの、子孫の約束
はどうなるのか?自分の聞き間違いではないのか?様々な思いが駆
け巡ったろう。しかし、アブラハムは今までの神との深い培われた
交わりの中で、神の御声との確信があり、神への信頼があった。
「翌朝早く」、決断し、ぐずぐずせず、すぐに神に従った。

そして、御声に従い、刀を取って、自分の子をほふろうとした瞬間、
神が止められた。代わりのいけにえとして、雄羊が備えられていた。
神に従う道には、必ず「主の山に備えがある」。今まで何度も何度
も、この事実を経験して来た。

信仰人生には、時に理解できない事が起きる。わからない事がある。
しかし、そんな厳しい試練の中も、「主の山の上には備えがある」
と信じて従おう。自分を委ね、従う時、「あなたが、このことをな
し、あなたの子、あなたのひとり子を惜しまなかったから、わたし
は確かにあなたを祝福し・・」と、大きな祝福にあずかる。
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試練の中に必ず脱出の道も備えられている。大きな問題、乗り越え
られそうもない場面で信仰に立ち祝福を経験していこう。いつもそ
こに主の素晴らしい備えがあった。