2016年11月26日(土) 「けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明ら かにされます。明らかにされたものはみな、光だからです」エペソ 5:13
「けれども、明るみに引き出されるものは、みな、光によって明ら かにされます。明らかにされたものはみな、光だからです」エペソ 5:13
光は、私たちの心の中を照らし出す。その時、心の中には、真っ暗 な闇があることがわかる。闇の中で、闇は、闇であることがわから ない。光があって初めて闇が認識できる。誰にも言えない心の内に ある悩み、人には知られなくない事柄、心の中の罪、妬みや憎しみ、 触れられたくない過去・・それらを人に知られなくないので、隠すし、 自分自身もおおっておきたい。 見たくないので、目を閉じている、そのため、普段は見えない。し かし、それらは何かの時に噴出する。心に闇があるなら、喜びをも って生きることができない。普段、何かの度に心がザラつき、見え 隠れしているのだが、気に留めないので気づかない。主はその闇を 示し、取り扱い、心を新たにして下さる。 触れたくない、知られたくない事柄にはそこに痛みがある。それが 光に出されると苦痛を伴う。自分の醜い、汚れだ。ある人は、友人 がほめられたり、良い成績を出した時に、心にザラつきを感じてい た。しかし、友人であり、普段仲良くしていて、気づかなかった。 認めたくなかった。ある時、相手が皆の前で賞賛された時に、心が 苦しくなるのをはっきり感じ、帰宅するや戸を閉じて、一人になり 主の御前に祈った。 心を照らされた時、底に強い妬みがある事がわかった。相手と張り 合っている。実は最も負けたくない競争相手であった。しかし決し て認めたくなかったことがわかった。心から悔い改めた時、赦され て、心がすっきり平安にされた。光により闇が明らかにされる時、 解決が来る。「わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがな く」の通りに。 ・・・・・・・・・・・・ 普段は意識しないが、何かあると重苦しくザラつく部分、本当は見 たくなくて、認めたくない部分かも知れない。心にある闇の部分に、 光である主は介入して下さる。素直に認めて行く時に、自由に、自 由にされて行く。主の光は恵みの光だ。