2017年01月27日(金)

「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしである」出エジプト3:12



何も無い荒野で、長年、羊を飼っていたモーセが、突然主から召し
を受ける。「わたしはあなたをパロのもとに遣わす」と。イスラエ
ルをエジプトから連れ出せと。モーセは、私が?なぜ?と思ったろ
う。「私はいったい何者なのでしょう。民をエジプトから連れ出さ
なければならないとは」と答える。

何で、一介の羊飼いの自分が、そんなとんでも無い大それた事をし
なければならないのか。モーセはもう80歳であり、又、以前王子で
あった時に、自分こそはと、自分がせずに誰がすると、民を救出し
ようとして失敗している。この老人に今さら何を?今の自分には何
の能力も無い。地位も力も人脈もない。

だが、主は、尻込みするモーセに「わたしはあなたとともにいる。
これがあなたのためのしるしである」と約束され、たたみ込むよう
に説得して行かれる。「わたしがあなたと共にいる」この事が「し
るし」だと。「しるし」とは、証拠であり、保証だ。これ以上の保
証などどこにあろう。これが現実であるとは、何と力強い事だろう。

モーセは、民をエジプトから救い出す事、これが彼の使命であり、
このためにモーセは生まれて来た。神はモーセを用いられた。私た
ちも同様だ。「わたしがあなたを遣わす」の通り、一人一人に神か
らの使命が与えられている。モーセと同じく、私は一体何者と思っ
てしまうが「わたしが共にいる」との保証がある。神が成し遂げて
下さる。遣わされた場で、神が用いて下さる。
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神によってここに置かれていると見ていくと、何も無いような一日
が意味を持って立ち上がってくる。神の恵みと支えの中で今日何が
できるかを祈りたい。