2017年04月26日(水)

「サライが彼女をいじめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。主の使いは・・シュルへの道にある泉のほとりで彼女を見つけ」創世記16:7



女奴隷ハガルは、アブラムとサライに子供ができない事から、アブ
ラムの子を宿す事になる。奴隷であって、選択の余地は無い。それ
は、神はご存じだ。しかしハガルは、妊娠すると高慢になり、女主
人サラを見下げた。この高慢はハガルの罪であった。奴隷からの侮
辱に、サラは怒りに燃える。アブラムのせいと、訴える。

するとアブラムは、好きなようにせよと告げ、今度はサライがハガ
ルを攻撃した。いじめは、余りにも辛くハガルは荒野へ逃亡。そこ
に主の使いが現われ、「サライの女奴隷ハガル」と。はっきりと、
サライの奴隷である立場を認識させ、「どこから来て」高慢になっ
た結果、サライのいじめに会い、その苦しみから逃げているという
現実を、見せる。

ハガルも女主人サライから逃げている事を認める。「女主人のもと
へ帰り」「身を低くするよう」告げられた。「あなたの子孫を大い
にふやすから」と。私たちへの言葉でもある。問題や環境から、状
況から、辛さの余りとにかく逃げたい。それが救いだと思う。しか
し、逃げても何の解決も無い。

そこを逃げたとしても、自分自身は何も変わらないので、また次の
環境で同じ事を繰り返す。自らの傲慢ゆえに、苦しみを招いたので、
身を低くし、へりくだって仕えよと。私たちも時として、逃げたい
が、その所にとどまり、へりくだれと言われる。どうしてこうなっ
たのかよく考えと。その時、その所で、豊かな祝福と成長がある。
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逃げた先でも神はハガルを見捨てず御声をかけられた。どこから来
て、どこへ行くのかと。自分もまた受け入れられ愛してくださるお
方がいるとは何という慰めだろう。この神のご愛によってへりくだ
らされていく。