2017年06月26日(月) 「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった」イザヤ53:3
「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった」イザヤ53:3
ある人が、職場でどうしても、そりが合わない相手がいた。話すと、 なぜかぶつかり合う。ギクシャクし、相手にトゲを感じる。嫌われ ているように感じてしまう。傷つくので、段々対応が苦痛になり、 その事を祈りに持って行った。主の前で静まり、ことごとく打ち明 け、主と交わった。 すると相手の嫌な所、欠点ばかりが目に付き、そういう見方しかし ていない自分に気づかされた。心では相手を責め立て、裁いている 自分がいた。相手にトゲを感じていたが、実はトゲを出していたの は自分の方だった。丁度そんな時に、主のへりくだりを教えられた。 「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われた」 ご自分を何もかも捨てて十字架にまで、従順に従われた主の姿に、 自らの高ぶり、愛の無さを示された。主のへりくだりに、自分の姿 を見せられ、心から悔い改め、へりくだれるように祈った。へりく だりたいと心を向けて祈り続けた。そんな時、相手と仕事の事務的 な話をしたが、相手との関係が変化している事に気づいた。自分が 変えられていた。 自分がへりくだろうと祈る時に、主が働かれる事を見せられた。穏 やかに話ができ、トゲが消えていた。こちらがへりくだって、相手 に対して心を開く事ができたので、相手も変わったように感じた。 悔い改めて、主に拠り頼む時、主はそこに働かれる。あなたも今、 へりくだる事を示されているだろうか。主の姿を仰ごう ------------ 主の忍ばれた悲しみの道を思うとき、何と自分だけが大切な者だろ うかと思わされる。目の前の棘は痛いが、主は全てを知っておられ 正しく取り扱ってくださる。へりくだらされる事は何より感謝だ。