2017年09月26日(火)

「イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。『よくなりたいか』」ヨハネ5:6


私たちは、悪習慣を環境のせいにしたいものだ。アルコール依存症
の人は、どこに行っても、飲酒の誘惑の無い所がないと言う。テレ
ビからは酒のCM、街を歩けば、店、又、店、誘惑があるから止めら
れないと。ギャンブル依存症の人も、ギャンブルが存在する事が悪
いと言う。環境が悪いと。しかし、同じ環境にいて、アルコール依
存症にもギャンブル依存症にもならない人々が大勢いる。

これは環境のせいでは無いという事だ。問題は何なのか。私達も形
は違うが、同様だ。止められない習慣を持っている。しかし、その
問題の底にあるものは、止められないのでなく、止めたくない自分
がいる。そこを認めない限り、問題の解決はない。人一倍思い煩い
の強い人もいるが、実は思い煩っていたい。

思い煩いがないと不安で、思い煩いを見つけ出すと安心する。思い
煩い依存だ。おかしな話だが、心の底を正直にみるとそうなのだ。
主はいつでも「よくなりたいか」と問うて下さる。そう出来るかと
は問われない。「・・たいか」だ。本当に良くなりたいのだろうか。

建前でなく本音はどうだろう。どっちでもいいのだろうか。悪習慣
の中は、心地良かったりする。環境や人のせいにせず、自らの罪を
認め、無力を認める時、主は癒しを与えて下さる。「私はアルコー
ル依存です」と認める人が癒されて行くという。逃げないで、主に
向き合おう。
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一人ではよくなれない状態も、またその苦しみも主はご存知でよく
なりたいかと聞いてくださっている。よくなりたいとの決心を主に
告げることから始めよう。