2018年02月24日(土)

「あなたの神、主を心に据えなさい」申命記8:18 

  

イスラエルの民は、出エジプトを果たし、約束の地カナンを目指し
て前進し続けて来た。そしてその約束の地に入れば、信仰は必要無
いのかというと、そうではない。良い地に入って、食べて満ち足り
た後も、高ぶることの無いように、「主の命令を守って、その道に
歩み、主を恐れなさい」と。

神を信じて生きるのは、何かを貰うためではなく、それ自体が目的
だからだ。ある人がどうしても欲しいものがあり、祈りに祈って、
主に訴えた。絶対に欲しい、余りにも強烈な願望に、ある時、神か
ら何が何でも貰い取ろうとしている自分の姿を見せられ、恐ろしく
なった。

これなら、自分の欲しいものをくれるなら、対象は何でもよくなっ
てしまう。「ひれ伏して私を拝むなら、これを全部あげよう」との
サタンではないか。恐ろしくなり心から悔い改めて、明け渡す事が
できた。すると心の方が変えられて、欲望が無くなってしまった。
何でそんなに何かに憑かれたかのように、欲しかったのかわからな
いほど、手にしなくてもよくなってしまった。

しばしば間違ってしまう。信仰を、自分が良く生きるための、又、
欲しいものを得るための、手段にしてしまう。すると何もかもが的
をはずしてしまう事になる。自分の生きがいのための手段、喜びを
得るための手段、問題解決の手段としてしまう。それなら、自分の
期待通りでない時に必ずつまずく。神ご自身を喜び、信じて生きる
事、神を礼拝して生きること、これが目的だ。

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この世は家内安全、商売繁盛・・だ。だが主はすべて必要は与えて下
さるが、何より主との信頼関係を願っておられる。そこを深め、培
おうとされている。次々と問題は起きるが、主との愛の関係、信頼
関係を深めて下さるためだ。そこに目を向けて、主を呼び、交わっ
て生きて行きたい。