2002年08月27日(火) 「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません」(ガラテヤ1:10)
「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは言えません」(ガラテヤ1:10)
私達は優柔不断になりがちだ。良い人に 見られたくて、嫌われたくなくて、言わな ければならない事も言えない。 悪い事とわかっていて面と向かって指摘す る事が出来ない。人にかけている迷惑を見 ても注意する事が出来ない。周囲に罪を見 ても、見て見ぬ振りをしている。 イエスは人に嫌われるかどうかを考えなか った。人の顔色を見、人の歓心を買う事も されなかった。律法学者達に言うべきこと をはっきりと言われた。罪を指摘された。 また律法学者の心の中を見ぬかれ、 「なぜ、心の中で悪い事を考えているのか」 と面と向かって言われた。主は優しいお方 であられたが、欺瞞に対しては敢然と立ち 向かわれた。白く塗った墓、内側は偽善と 不法でいっぱいだとパリサイ人の罪を指摘 された。 言うべき時には言える者でありたい。