2018年10月27日(土)

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もな い喜びと思いなさい・・成長を遂げた、完全な者となります」ヤコブ 1:2



ダビデはサウル王に妬まれ、命を狙われる。女たちの「サウルは千
を打ち、ダビデは万を打った」の言葉が、サウルの怒りを買い、妬
みの炎を燃え上がらせた。ダビデは忠実に王に仕え、良く戦い、優
れた部下だった。だが、サウルの妬みは憎しみへと増幅し、ダビデ
殺害を図って行く。

ダビデはサウルから殺されかけ、敵からも命を狙われ、又、息子の
謀反により、実子からも攻撃を受ける。自身が病にも陥り、周囲か
らは攻められ、自分自身も弱り果て、もう絶体絶命の窮地だ。心身
ギリギリの限界だ。厳しい悩みと苦しみの中にいた。ダビデこそ神
の心にかなった人だった。信仰もって人生を歩むなら、悩みが無く
なるのではない。悩みや問題は必ず来る。

その時、私達は苦しくてたまらず、とにかくその問題が無くなる事、
状況が変わる事を願う。問題が問題なのだと思ってしまう。しかし、
そうではない。問題は、何ら問題ではない。苦しみの中でこそ、神
が神であられる事を身をもって知って行く。ダビデは「嘆きで疲れ
果て、涙で夜ごとに寝床を漂わせ」と、泣いて泣いて嘆いた。苦し
みの中でこそ、神との深い交わりに入れられる。

「主よいつまでですか、あなたは」と、率直にありのままの気持ち
を神にぶつけて神に近づいている。順境の時には決して経験出来な
「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もな
い喜びと思いなさい・・成長を遂げた、完全な者となります」ヤコブ
1い恵みだ。何とかしようともがき、走り回るのではなく、問題を

べて神に持ち出そう。自分で当たると空回りだ。心を注ぎ出し、神
に寄りかかり、すがりつこう。神との近い交わりを経験し、そして
祈りは聞かれ、神の御心が成し遂げられて行く。

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問題は次から次へと来て、自分ではどうにも出来ない時に、ただた
だ祈っていると、不思議を経験する。問題を委ねるようにと導かれ、
それも祈りの中で、明け渡して行くと、問題はそのままなのだが、
不思議な平安、「主の平安」が心に与えられたりする。