2018年11月26日(月)

「何ということだ。私は彼がきっと出て来て、立ち、彼の神、主の名を呼んで、この患部の上で彼の手を動かし、このらい病をいやしてくれると思っていたのに」U列王5:11



将軍ナアマンは、らい病を患っていた。そんな時、捕虜の少女から
エリシャの事を聞いた。それで、らい病をいやしてもらうために、
エリシャのもとを訪れた。しかし将軍が、馬と戦車を伴い、たいそ
うないでたちで、直々に訪ねているにかかわらず、エリシャは会う
事もせず、使いの者に伝言で用を済ませた。

その扱いに、ナアマンはプライドをひどく傷つけられた。ましてや、
厳かな儀式で手を置いて癒すのではなく、ヨルダン川で七回身を洗
えと。とてもじゃないが受け入れられない。ダマスコにもっと良い
川があると激怒だ。ひどく傷ついたからだった。神はこのナアマン
のプライドをご存じで、エリシャを用いて、砕こうとされた。

自分はいっぱしと思い、人よりは上と思い、自分の思いに神を従わ
せようとする態度は、ナアマンだけだろうか。人間のプライドは、
神の恵みと相反する。相容れない。神はナアマンに、真の救いと、
真の癒しを与えるがために、そのところを通された。彼の非常に高
い「プライド」が取り扱われる必要があった。

彼は怒って帰途についた。その時、しもべ達がナアマンに進言した。
難しい事を言われたならプライドが保てた。しかし、余りにも単純
で簡単で、又、人々の目にさらされる奇異な状況に、とてもプライ
ドが許さない。だが、とにかく言われる通りしてみたら、いかがな
ものかと。

ナアマンはその進言に耳を傾け、プライドを捨てて従った。すると
奇跡が起きて、らい病が完全に癒されたのだった。あなたも今の問
題はプライドだろうか。自分の思いを通そうとしているか。主が取
り扱おうとされているか。それを捨てて従う時、大きな祝福に出会
う。
------------
自分の価値観の中で、納得いく方法であわれみを受けたいという、
あくまで傲慢なナアマンに学ぶことが多い。引き返さず導きに従お
う。従順の先に大きな主のあわれみと祝福が待っている。