2018年12月27日(木) 「この女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころおに出血が止まった」ルカ8:43
「この女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころおに出血が止まった」ルカ8:43
女性は、12年もの間、出血が止まらず、どんなにか苦しみと辛さの 中にあった事だろう。律法によるとそれは不浄との事で、礼拝にも 出られない。身体と共に心も痛み、社会的にも、宗教的にも疎外さ れていた。悪徳医師もいて、治療のため全財産を使い果たし、経済 的にも困窮状態だ。そして治癒どころか、ますます悪化し、これか ら先どうすればよいのか、絶望状態だ。心身限界で、もうぼろぼろ であったろう。 全く先が見えず、真っ暗で、わらにもすがりたかったろう。そんな 時、主の噂を聞き、主の着物にでも触ればきっと直ると思った。も う最後の望みの綱で、必死だった。そして触れた瞬間に、血の源が 枯れて、ひどい痛みが直った事を感じた。どさくさに紛れ、すぐに その場を去ろうとした。が、主が「触ったのは誰か」と問われた。 隠れて潜んでいたが、隠しきれないと思い、震えながら進み出た。 「イエスの前に出」たのだ。どんなに勇気の要った事だろう。「す べての民の前で」イエスに触った理由と、すぐに癒された次第を話 した。自分を卑下し人に隠れて、こそこそと陰にいたのが、主に導 かれて従う事により、光の中へと入れられた。そして、あるがまま を告白できた。 これがすでに大きなみわざだ。主は「あなたの信仰が」と信仰を認 め「安心して行きなさい」と。もう恐れも不安も怯える事もない、 全き平安を下さった。身体だけでなく心を癒し、全人格的救いを下 さった。告白は彼女自身のためだった。あなたにも、主の御前に出 て告白を求めておられるだろうか。光の中へと招くために。 ------------- 病が癒されるだけでなく、主と顔と顔を合わせ、癒して下さった方 が誰かをしっかりと知ることが本当の祝福だ。一番必要な答えを知 り、導いて下さるお方を知っていることは何と幸いだろう。