2019年04月26日(金)

「彼は恐れて立ち、自分のいのちを救うために立ち去った」T列王 19:3


エリヤはバアルとの戦いで、大勝利を遂げた。しかし、怒ったイゼ
ベルはエリヤ殺害命令を下す。するとその途端、エリヤは恐怖の余
り逃亡し、何と死を願ったのだった。エリヤは、偶像の神とあんな
に勇敢に戦い勝利したのに、何を怯えるのか?と不思議に思うが、
霊の敵を相手に、この上ない厳しい激しい戦いに心身消耗しきって
いた。人間は無限でなく、身体的、心的に容量があり、限度もある。

又、霊的大勝利の後が、特に要注意と言われている。勝利に歓喜し、
安堵し、油断してしまう。油断が大敵だ。又、高慢になってしまう
場合もある。そこにサタンがつけ込み、牙をむく。成功の後こそ、
身を引き締め、へりくだって、ますます主に拠り頼む必要がある。

あの信仰の勇者エリヤが、怯えた原因は、イゼベルの言葉だった。
主の言葉でなく、イゼベルの言葉の方を受け入れてしまった。聞く
べき言葉と、聞き流し、拒否すべき言葉がある。言葉によって、心
が動かされてしまう。私たちはどの言葉に聞いているだろう。神の
言葉か、サタンの言葉か。

神はエリヤを責めも、叱りもされず、休息させられた。深く眠らせ、
食事を与え、十分休ませられた。心身消耗しきっている時は、まず
休息が大切だ。十分な睡眠と食べ物で、すっかり回復したエリヤは、
ホレブの山に行き、ほら穴にいた。

主は、山の上で主の前に立つように命じられた。そしてかすかな細
い声に耳を傾けて行くと、神はエリヤの、もう自分一人になってし
まったとの思い込みを正し、まだ7千人が残されていると。そして
新たな使命を授けられた。エリやは主の細やかな配慮と手厚いサ
ポートにより、再び、神の使命を果たすために立ち上がる事ができ
た。

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自分で自分を救おうとする途端に、不安、恐れ、思い煩いに襲われ
る。自分で救おうとせず、主のもとに行き、心の何もかもを告げ、
自分自身を主に委ねる時に、心は平安にされ、主が救って下さる。
そしてそこに主の栄光が現され、更に主を知ることとされる。