2019年07月27日(土)

「泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、 踊るのに時がある」伝道の書3:4


神は、神の時間割、スケジュールを持っておられる。花の種まきを
した事があるだろうか。種を蒔いて、水をやり見守っていると、芽
が出て来る。日を重ねながら、芽が少しづつ生長し、茎となり、や
がて綺麗な花を咲かせる。植物の生長にも、神は時を定められ、神
のスケジュールがある。芽、茎、花、実と、神の秩序と時がある。

もし、これを無視したらどうだろう。種から芽が出やすいようにと
早く芽を出そうと、人の手で種に裂け目を入れたらどうだろう。種
は死んでしまう。又、早く花を咲かせようと茎を引っ張ったらどう
か。神の時をじっくり待たないなら、無用の、不毛のあがきをして、
返って損なってしまい、出る芽も出ず、咲く花も咲かず、実も実ら
ない。

霊的成長も同様だ。成長には必ず長い時間がかかる。長期戦であり、
神のプランは長期計画だ。悪あがきをせず、人生の苦しみ、喜び、
悲しみ、それぞれの「神の時」をしっかり受け入れ、受け止めて、
生きて行く事が大切だ。その中で主が育み、訓練し、必ず成長させ
て下さる。

ダビデは「四方八方みな恐怖」で出口も見えない苦難の時に、私の
時は御手の中だと言った。状況でなく、主を見て、主の手の中にあ
る事を見た。困難な状況は、「神の時」に、導かれ回復して行った。

辛く苦しく何の希望も見えない時、しかしこの「時」は、愛の御手
の中にある事を覚えよう。握っておられる神に目を向け、信頼して
行こう。その時に「神のなさることは、すべて時にかなって美し
い」ことを実際に体験して行く。

・・・・・・・・・
信仰人生で、様々な「時」を経験する。嬉しい時、苦しい時、悲し
い時、嘆きの時、惨めな時・・。主には一つも無駄はない。行き当た
りばったりも無い。目的と意図を持たれている。一つ一つの「時」
を受け止め、主を求め、教えられながら歩もう。成長、成熟へと導
いて下さる。