2019年11月26日(火)

「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます」Uコリント5:7




アブラハムが75歳の時、神の「父の家を出て、わたしの示す地へ行
け」に従い、カランを出てカナンの地に移り住んだ。神を信じる信
仰により一歩を踏み出した。しかし子が無く、信頼できるしもべエ
リエゼルを相続人にと考えていた。が、神より、あなた自身から生
まれ出る者が、跡継ぎとなると言われた。満天の星を見せられ子孫
はこのようになると。

アブラハムは信じた。神はそれを彼の義と認められた。しかしその
後ずっと子供はできなかった。そんな中、サラの提案により、女奴
隷により子を得ることとし、奴隷ハガルによりイシマエルを得た。
86歳だった。だがそれは肉の思い、肉の行為であった。その後も、
約束はあるが状況的には何一つ動かず、何も見えない歳月が続いた。

厳しい忍耐の時であった。それから13年後、99歳の時に、主が再び
彼に現われ、子孫を与えると語られた。そして100歳になった時に
とうとう主の約束が成就し、イサクを得た。常識的にはもう不可能
な状況の中で、アブラハムは見えるところでなく、主ご自身を信じ
た。望みえない時に、望みを抱いて信じた。見えないものを信じる
から信仰だ。

それは厳しい状況を見るのでなく、約束して下さった主と、主の言
葉を見続ける信仰だった。あなたも今、厳しい状況だろうか。「サ
ラの胎の死んでいることを認めても」、尚も主の言葉に立てるよう
祈ろう。主は真実なお方、主の言葉は必ず実現する。
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見えるものは一時的で、見えないものはいつまでも続く。目の前の
事に翻弄され、また頼りたくなるが与えられた御霊によって慰めと
励ましを受けとろう。いつも心強い。